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日中の森田療法に関する比較研究
研究者氏名 施旺紅(第13期笹川特別研究者)
中国所属機関 中国第四軍医大学心理学教研室
日本研究機関 東京慈恵会医科大学第三病院精神神経科
指導責任者 助教授 中村敬
共同研究者 樋之口潤一郎, 久保田幹子
要旨
中国の森田療法をより発展させるために、日本の森田療法の特徴、真髄を把握したい。森田療法の研究論文、著書、治療症例と生活発見会の体験記を調べ, 日本の森田療法の実行方法、作用機制、各時代における変化の特徴をまとめ、森田療法の真髄を絞り出した。森田療法の要点は、①精神交互作用の打破、②神経症的な視点の変更、の2つである。そして、今の中国における森田療法の現状を紹介し、日本と中国の森田療法の特徴と相違を比較検討し、中国でこれからどのようにこの真髄を生かしていくべきなのかを検討してみた。森田療法は時代とともに変化しつつあるので、森田療法の適応拡大と技法の修正が必要だと思われる。中国で森田療法を応用するのは、森田療法の真髄を把握することを元に、中国の文化、現実に応じて、伝統的な方法に縛られず、様々な方法を工夫しなければならないと提案した。
Key Words 森田療法,神経症,心理治療
緒言:
現代は科学が発達し、生活が豊かになり、それとともに、ストレスが増大する時代であり、多くの人びとはさまざまな心の悩みを抱えている。現代の人々の悩み(パニック障害、強迫性障害、対人恐怖、慢性抑うつなど)に対して森田療法が有効であることが分かってきた。中国は、世界で人口がもっとも多い国である。それに近年の、改革開放による経済発展にともない、競争の機会も生じて、ここ十年来、神経症の患者の数も増加してきている。したがって、森田療法が望まれている。そこで、中国の森田療法をより発展させるために、日本と中国の森田療法の特徴を比較検討し、その異同について調べてみたい。
方法:
森田療法の研究論文、著書、治療症例と生活発見会の体験記を調べ, 日本における森田療法の実行方法、作用機制、各時代における変化の特徴をまとめ、今の中国の森田療法の現状を紹介し、日本と中国の森田療法の特徴と相違を比較検討した。それによって森田療法の真髄を絞り出し、中国でこれからどのようにして、この真髄を生かしていくのかを検討してみた。
結果:
I、日本における森田療法
森田療法は、1920年ごろに東京慈恵会医科大学・精神科の初代教授であった森田正馬博士(1874~1938年)が創始した、神経症のための精神療法であり、昭和になって高良武久博士が発展させたものである。
1、森田神経質と森田療法理論
森田療法は森田神経質に対する特殊療法といわれるが、高良博士はこの森田神経質を次のように指摘している。①本症患者は自己の病的症状を克服して正常にもどそうとする強い意欲をもっている。②本症患者は自己の病の状態に対する反省批判の能力をもっている。③本症の発生機転は正常心理学的にも十分理解できる性質のもので、その間に了解困難な心理的飛躍は認められない。④本症はヒポコンドリー性基調を有するものにおいて、ある動機における体験によって誘発され、精神交互作用、自己暗示、精神拮抗、思想の矛盾などによって発展し、固定された心因の疾患である。⑤本症状は主観的虚構性をおびている。⑥本症患者は本質的な知能障害や感情の鈍磨を示さない。
森田神経質は以上のような特徴を持っており、ほかのヒステリーや妄想幻覚をもつ心因反応、あるいは抑制力の欠乏した意志薄弱者や反社会的な精神病質と区別される。また森田博士は神経質を以下のように分類している。
神経質症のタイプ
普通神経質(身体化障害、心気症) 正常に機能している心身のわずかな不快感を病的だと思い、注意を集中して症状が固定したもの。不眠・頭痛・めまい・肩こりなどの訴えがあり、心身症の一部、自律神経失調症の大部分がこれに入る。
強迫観念症(強迫性障害) あることを恐怖しながら、半面、その恐怖を打ち消そうとして葛藤を生ずるもの。対人恐怖症・赤面恐怖症・視線恐怖症・表情恐怖症・疾病恐怖症・不潔恐怖症・雑念恐怖症・不完全恐怖症などのほか、何事にも疑惑を覚える疑惑症・物事を根掘り葉掘りせんさくしなければ気のすまない、せんさく症もこれに入る。
発作性神経症(パニック障害) 急激に起こってくる不安発作を主症状とし、救急車を呼ぶなど大騒ぎをすることがある。発作中は心悸亢進・頻脈・呼吸困難・めまい・ふるえなどの症状を伴う。代表的なものが心臓神経症だが、電車などに乗れない乗\り物恐怖症もある。
神経症の発症説
森田博士は神経症がどのように発症するのか、次のように論じた。
森田説 病状=素質×機会×病因
素質はヒポコンドリー性基調で、病因は精神交互作用で、機会は些細な誘因である。
「ヒポコンドリーとは、自分の不快気分、病気、死という事に関して、之これ)を 気にやみ取越苦労する心情であって、之が本もと)となって、神経質の症状が 起こる。之が無ければ神経質の症状は起こらない。 このヒポコンドリー性は、神経質という先天的精神的傾向のものに、 常に最も著明であって、この素質の者は何らかの些細なる動機からでも、容易に この心情の捉とらわれとなるのである。尚このヒポコンドリーは、神経質の人に限らず、総ての人に程度の差はあれ、結果をよくしようと考えるため、 神経質的症状が起きることがある」 。
「精神交互作用」とは、自分にとって不都合な心身の弱点を取り除こうと努力すればするほど、逆にそこに注意が集中し、結果としては自分に不都合な症状を引き出してしまうことをいうのである。
すなわち、ヒポコンドリー性基調をもつ者が、何らかの誘因によって、注意が自己の身体的あるいは精神的変化に向けられ、注意が集中することによってその感覚がますます鋭敏となり、それとともに注意がますますその方に固着する。このように感覚と注意が交互作用しあい、症状を発展固定させて、森田神経質症)という病的状態が発現するのである。この場合には、発病に最も重要な因子はヒポコンドリー性基調であり、症状発展に重要な役割を果たすものは精神交互作用である。
2、治療について
不安が強すぎて一歩も家を出られないとか、職業や家庭生活において完全に機能不全を起こし、短期間で何とか治したいというような場合は、入院森田療法の適応となる。しかし、実際には不十分ながらも仕事はこなしたり、家庭生活も何とかやっているというケースも多く、定期的に外来治療することで改善していく人達も多いのである。
入院森田療法
入院森田療法とは第1期の臥褥療法、第2期の軽い作業療法、第3期の重い作業療法、第4期の複雑な実際生活からなる4期のステップを踏んで行く一種の体験療法である。
第1期:臥褥(がじょく)療法 入院した患者は、まず4日から1週間ほど一人で臥褥安静にして寝ていることが求められる。この間、面会や読書、喫煙その他の気をまぎらわすことはすべて禁止される。
第2期:軽い作業療法 昼間はかならず戸外に出て、自発的に、その場で気づいたこと、目に入ったことなどから仕事に手をつけるようにして行く。この時期にはまだ、労働と言えるようなきつい作業を課すことはせず、むしろ本人の中に起こる活動欲に乗って動いて行くようにする。
第3期:重い作業療法 患者の身体の状態に応じて、薪割り、畑仕事、穴掘り、花壇の整備や園芸等の実際の労働に近い作業をやって行く。この時期になると患者は、自分でも思いがけずいろいろな仕事ができることを発見し、その成果に喜びを感じるようになる。また、症状があっても仕事は続けられることも体験して行く。
第4期:複雑な実際生活期 その人の実際の生活にもどる準備期であり、院外に必要なものを買いに行ったり、会社に出勤の日取りを確認したり、家に外泊したりと現実の生活にもどりつつ、その変化に順応する訓練をする。
外来森田療法
森田療法に関してはこの入院療法が有名だが、森田自身は「病室が少なくて、できるだけ入院させないで、外来で治療し、治りにくくて仕方のないもののみを入院させる」と述べていて、実際にはかなりの患者は、外来治療をしていたことを書き残している。 森田博士自身は、神経症の治療を外来でも行っていた。しかし、その方法は、入院森田療法のように定式化されなかったために、現在では、治療者によって相当異なる方法になっているようである。
森田治療原法の特徴
原法の特徴として①森田夫妻が、入院者と起居をともにしている家庭環境.②症状不問の徹底、③実践による体得、④その他:指導は抽象でなく、具体的な言葉でなされていること、作業は日常生活に必要な活動を主としていること、退院に当たっては客観的態度の変化を重視すること、薬物の不使用など。
3、新たな形:生活の発見会と建設的な生き方
生活の発見会とは森田精神療法理論にもとづいて、悩みを克服した人たちが、同じ悩みをもつ人とともに、互いに助けあいながら、実生活の中で学習し、行動し、悩みの解決をはかっていく会である。
生活の発見会は、1970年に発足し、以後多くの会員の自主的奉仕的な行動によって運営、推進されてきた。現在では全国に150か所を越える集談会があり、約5000人の会員から構成されている。地区集談会、初心者懇談会、学習会、機関誌「生活の発見」発行などをしている
Constructive Living(建設的な生き方)とは、アメリカの文化人類学者である レイノルズ博士(David K. Reynolds Ph.D.)が、日本の伝統的な 精神治療法である森田療法と内観を実践、研究し、その理論をベースに、より実際的に生きていくことを目指した教育の方法である。 森田的な考え方では、自分の人生を自分の力で乗り越えていくことの重要性を学ぶ。
II. 中国における森田療法
1、森田療法の導入
森田療法の中国での目覚しい発展は最近のことだが、導入してから半世紀が経っている。森田療法がはじめて中国にもたらされたのは、1957年のことである。そのときは森田博士の高弟である、東京慈恵会医科大学の高良武久教授が中国を訪問し、北京、上海において森田療法についての学術講演をした。しかし当時は、中国の政治理念が現在とはすこし異なっていた。そういう関係で森田療法の実施は、それから20年あまりも重視されなかった。その後、1981年になって、鐘友彬先生が医学書『国外医学・精神科分冊』で、初めて森田療法に関する論文を公表した。以来、中国国内の雑誌に、しだいに森田療法にかかわる文章が発表されるようになった。
1990年に中国心理衛生協会の招きで、日本から森田療法関係者が中国を訪問した。以来、中国で森田療法が急速に広がる。1990年4月、日本のメンタルヘルス岡本記念財団理事長・岡本常男氏を団長とする森田療法代表団が中国を訪問した。北京での中国語版の森田図書の贈呈式に出席するためである。浜松医科大学・大原健士郎教授、生活の発見会会長・長谷川洋三氏など社会的な著名人と、生活の発見会会員などがその代表団のメンバーだった。このとき同時に、中国心理衛生協会が主催した講習会で、大原教授は「森田療法の歴史とその理論」を系統的にくわしく紹介した。また、生活の発見会会員が、森田療法の学習によって神経症から再生した体験を話した。それは講習会の参加者医師、心理学関係者とって、大いに励みになった。そのあと森田療法は、はじめて中国国内で発展をたどることになる。
2森田療法の実施状況
中国では1990年からしだいに、森田療法が実施されるようになった。まず天津医学院、北京回龍観病院、西安市精神衛生センター、山東地区の精神病院、および河北省、江蘇省などの地域がはじめであり、いまでは全国の約30以上の省と市などの地域62か所の医療機関で、この治療法が実施されている。そのうち24か所は入院治療、37か所は外来で森田療法を行っている。主として総合病院、精神病院、医科大学の付属病院、精神衛生研究所、中国医学研究院、心理健康諮問センター、および大学病院などである。
中国において森田療法で治療する神経質症の種類は多く、強迫神経症、対人恐怖、不安神経症、普通神経症などである。現在、各病院でその適応症を広げるように努めている。たとえば、うつ病からはじめて、つぎに統合失調症、各種の人格障害、ヒステリー症にも広がりつつある。といっても森田療法を実施のさいには多くの病院で、その他の療法も併用している。もっともよく併用されるのは認知療法、行動療法、精神分析法である。薬物療法も行なわれている。
3、森田療法に関する学術活動と研修
1992年9月、天津において「第一回全国森田療法シンポジウム」を開き、参加者は200人近くにのぼった。このとき学術講演としては、大原健士郎教授、藍沢鎮雄教授、北西憲二助教授、宮里勝政助教授、玉井光講師、伊丹仁朗医師がそれぞれ、森田療法に関する貴重な報告をした。また岡本常男先生の「私と森田療法」と題する特別講演があった。中国側も47編の論文と研究レポートを発表し、このシンポジウムで交流を深めた。1995年4月、「第3回国際日本森田療法学会」を北京において開いた。この学術シンポジウムには、世界14か国と中国各地の学者約300名が参加した。106編の論文の提出があり、60名以上の中国と各国の代表が論文発表と報告を行った。2004年10月、「第5回国際日本森田療法学会」を上海で開いた。森田療法を実施する医者たちは本会のシンポジウムで、森田療法の理論と臨床応用について語りあい、みずからの見方を深めるとともに経験の交流をした。森田療法の国際シンポジウムを中国で開催したことで、森田療法の中国での推進に大いなる力を与えられたしだいだ。
いっぽう、1992年10月ごろ、ハルピン心理健康指導学校のなかに、はじめて森田心理訓練の講座が設けられた。学校式の森田心理訓練を始めたこととなる。学校式の森田心理訓練では、まず神経質症を、だれにでもありがちな神経質的な悩み、とする。そして神経質患者と精神科医師の関係を、生徒と教師としての関係とみなす。すなわち、ここでは森田療法を病院式から学校式に変え、学校で学ぶ?心理素質の訓練?として行なう。また1990年以来、天津市は率先して、「生活と心理健康クラブ」を成立させた。つづいて西安市においても、日本の生活の発見会によく似た「生活発見会」を組織した。おもな活動は、森田理論を基礎として集団で学習させることである。活動内容としては、講習、集団学習、懇談会、個人相談、講演会などがある。
最近はインターネット上で森田療法発見会がとても人気がある。いま、10000人以上のメンバーを持っている。おたがいに学びあい、助けあい、啓発しあって、神経質症の悩みを克服していき、そして健康人としての生活をとり戻している。
III 日本と中国森田療法の共通点と問題点
1、森田療法は変化しつつある
森田療法が創始されてから80年近くたち、社会情勢の変化とともに、患者像、治療環境に変化が起こりつつあるとされる。森田神経質純型が減り、不純型が増えつつある。そして、女子患者の増加、普通神経質の減少と高齢化、発作性神経症の増加がみられた。また、古くからある森田治療施設が減少しつつある反面、一般精神病院、総合病院精神科において森田療法を普及させようとする動きがみられる。中国では入院施設が少ないが外来が多いとみられ、精神科だけでなくて、大学、教育施設でも盛んになってきた。
2、森田療法の適応拡大と技法の修正
森田療法は元来、強迫性障害、社会恐怖や広場恐怖、パニック障害、全般性不安障害などの不安障害、および心気障害を治療の対象にしてきた。しかし、社会情勢の変化とともに、近年、神経症以外の疾患に対して、強迫行為、ひきこもり、うつ病・気分変調症、パーソナリティ障害なども森田療法は広く適用されるようになってきた。そして、適応の拡大に伴う技法の修正について、工夫しなければならい。中村助教授はその要点をまとめた。
1)不問の見直し
症状不問という森田療法の基本姿勢は、患者の症状にとらわれたあり方を打破するために有効な方法であった。しかし今日の患者の中には、不安にとらわれる以前に身体化や行動化によって自己の感情を内的体験として感じ取っていない症例が少なくない。こうした患者に対しては、悩みを不問に付すわけにもいかない。いったんは患者の感情を治療者が受け止めた上で、患者自身が自己の感情にどのような態度をとればよいのかを共に考えることが必要になる。
2)行動指導
甚だしい強迫行為や過食嘔吐の反復などの行動障害に対しては、建設的な行動への転換を促すとともに、衝動的な行動の反復から脱出するコツを具体的に指導することが求められている。たとえば強迫行為に対する「一拍おく」などの助言はその一端である。またひきこもり患者に見られる行動回避やうつ状態にある患者の行動抑制に対しては、一足飛びに困難な課題を目指すのではなく、いま実行可能な小さな目標を設定してすっと取り組むことを指導していくのである。
3)他の治療形態との併用
ひきこもりの治療などに際しては、患者本人だけでなく家族に対するアプローチを行う必要も増してきた。患者個人の内ばかりでなく患者と家族とが悪循環的に症状を発展させている場合があり、そのような家族の関わりを変化させることによって、患者の治療的変化も容易になるからである。
ところで重症の強迫性障害やパニック障害などに対しては、森田療法とともにSSRIなどの薬物療法を併用することが多くなってきた。それだけに、森田療法は薬物療法をどう位置付け、いかに治療プロセスに統合するかを一層意識化しておくことが重要になった。薬物を効果的な補助手段としながら患者が建設的行動に踏み込むことのできるよう、投薬に際しては適切な言葉の処方がなくてはならないのである。
4)生き方を主題にした面接
最近では青年期の症例ばかりでなく中年期の症例においても、症状は軽快しても自分が歩むべき方向が見出せず、立ち往生することがしばしば見られる。それだけに、治療の後期には患者の生き方を主題にした面接を重ねることが多くなってきた。ここにおいて治療者は、森田療法の本質を再認識する必要がある。
以上のように、最近の森田療法は全体的に折衷的な方向に進んでいる感がある。新しい病態に適応を広げるには、そのような方向は必然のものであると考えられる。とはいえ患者の苦悩や不安の底に「生の欲望」を認め、その発露を促すという治療の方向性は、森田療法に必須の要素として忘れてはならないことである。
3、中国における森田療法の問題点
人材不足 浜松医科大学、東京慈恵会医科大学が中国からの研修生を何人か受け入れたが、数が少ないのが実状だ。そのため中国において森田療法を実施する専門医師の人数も少なく、その理論理解も浅いといえる。いわゆる実際の技法は、森田図書から学んで真似たものである。
資料不足 1990年から中国で出版された翻訳図書単行本)は、つぎのようになっている。『神経質の本態と療法』森田正馬著),『森田精神療法の実際』高良武久著),『森田療法とネオモリタセラピ-』大原浩一・大原健士郎共著),『自分に克つ生き方』岡本常男著),『心の危機管理術』岡本常男著),『心配症をなおす本』青木薫久著),『行動が性格を変える』長谷川洋三著),『しつけの再発見』長谷川洋三著)。これらの図書は、中国の臨床医師が森田療法を学びその治療をするのに、重要なものである。 しかしそのほとんどが売り切れ、中国人が主編した森田療法著書はいままでひとつしかない。これは拙者の「战胜自己-顺其自然的森田疗法」で、2004年2月出版したものである。
翻訳と理解の誤解 中国では、日本語を勉強して、森田療法を研究している学者がかなり少ないので、翻訳された森田著書の中で、いろいろ誤りや誤解がある。たとえば、「あるがまま、なすべきことをなす」が 「顺其自然,为所当为」 や、「忍受痛苦,为所当为」と翻訳された。更に、医者によって、いろいろな解釈がある。しばしば誤解を招き、患者の怒りを買ったり、他の治療者から批判されることもあった。医者と患者は、時に森田理論の一部の形式に拘り、新たな悪循環に陥りやすい。
森田医師の養成システムがない 日本では、森田療法セミナーや森田療法認定医制度などのシステムがあるが、中国には存在しない。系統的な森田療法専門家の養成制度がないと、森田療法の発展に支障が生じてしまう恐れがある。森田療法の理論と臨床応用を共同研究し、各種の学習班をつくり学術交流を行なうこと、さらに森田図書と雑誌を出版し、森田医師の養成などの計画が必要である。
考察:
森田療法は発明以来、時代とともに、変わりつつある。一体森田療法が何かと考えると、森田療法の真髄を把握することは大切だと思う。
森田療法の要点は、①精神交互作用の打破、②神経症的な視点の変更、の2つである。
身体的なことに対するとらわれも、社会的な場面でのとらわれも、いずれも「体の不調感」や「人前での体のふるえ」などの広い意味での「感覚」をあるきっかけに意識し、それを取り去ろうとする努力によって、かえってその感覚を鋭敏にし、それがまた不調の意識につながるという悪循環を形成している。これを森田正馬は「精神的交互作用」と名付け、これが神経症の症状を形成・増悪させていくことを喝破した。そして、この精神交互作用を打破するためには、この感覚とそれにともなう適応不安とを現在あるものとして認め、それとともに「もし症状がなければ自分はこれをやりたい」というその人の本来の欲求にそった行動を勧奨して行くことである。このような「不安を認め、自分の本来の欲求にそって動く」ことを「あるがまま」の態度と言い、森田療法の一つの要諦になっている。そしてこの「あるがまま」の体得により、自然と精神交互作用の悪循環から離れて行くのである。
もう一つの要点は、このような神経症になりやすい人の視点の自覚である。この人たちは、完全欲が強く、それが内向すると、自分が100%の状態でないと安心できない傾向がある。そのために自然な体調の波や、当然ある緊張までも「あってはならない」と思って排斥しようとするため、かえって神経症に陥りやすくなる。このような「かくあるべし」という観念から、人間の自然なゆらぎを認め、「人間の事実そのまま」からスタートするように視点を変えて、あるがままの自分を認めることから治療が始まる。
そして、人間の心理障害はその人間の育つ環境、文化、価値観などつながりがあるので、中国で森田療法を応用するためには、森田の真髄を把握することの上に、中国の文化、現実に応じて、伝統的な方法に拘らないで、いろいろな工夫をしなければならないと思う。特に、森田原法や、森田のある言葉に拘るべきない。中国では医療保険が不完全なので、長い入院療法が難しいが、生活発見会、ネットでの交流、集団理論教育、宣伝資料などの方法を薦めるべきだと思う。
参考文献:省略
作成日:2005年2月5日 |
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